言ノ葉綴り

コメントくれたら嬉しいな…

実は…③

色々あり過ぎて定かじゃないところや忘れているところ

いつだったか忘れちゃったところもあるけど

 

祖母が震災の後に亡くなり

息子も成人して何年か経過したころ鬱病何度目かの再発

一度、地元の東京の児童保護施設みたいなところに居た彼氏が一人暮らしを始めたのをきっかけに気分転換に…と東京に行ったものの2年もしないうちにコロナが蔓延し

職場のビジネスホテルが廃業…当然ルーム清掃で稼いでいたウチも解雇

彼氏は飲食業だったので何とか細々と生活していたものの彼の給与とウチが受けたコロナの2つの貸付では生活もできなくなり、彼を連れて盛岡へ…

息子を世帯主にしていたものの残していたアパートで息子と彼氏と3人で生活をはじめて彼氏にも仕事をしてもらい生活費を入れてもらいウチも東京に行く少し前まで仕事をしていたところでまた仕事をさせてもらって何とか生活をしていましたが、そこでの人間関係や彼氏の態度や、それに対する息子の愚痴…そして実家兼ア駆りパートの建て替えでの建設会社との養母との意見の食い違いによる話し合いに駆り出された時のストレス等々タイミング悪く全てが重なり…

 

ある日突然、通勤中のバスで具合が悪くなり…職場近くの歩道の真ん中で吐き気を堪えながら過呼吸になりパニック障害の発作が出てしまい動けなくなってしまいました…

そんな状況の中、なんとか通院し始めた病院へ電話をかけ状況説明…

『とにかく職場に連絡して直ぐに来なさい』と言われました…

 

同じように店長に状況説明のために泣きながら過呼吸になりながら電話をして説明

『そんなこと言われても私、今日、会議だから…今日Tさん一人になっちゃうでしょ!どうにかならないの!?』とグチグチ言われ怒鳴られ出勤するように言われましたが無理だと伝えて半ば強引に電話を切り病院へ…

翌々日、出勤するとすぐに店長に呼ばれ『いつ??』『いつ直るの?』と聞かれました。

頭の中真っ白…

当然わかりません…

黙っていると『いつまで?』と聞かれました。

ん??いつまで??

この言葉は、【いつ辞めるの?】に聞こえました。

実際、後から『いつまで来れるの?』とも言われましたので…

本当は締め日が良かったのですが、今月(6月)いっぱいで…と決めさせられる形になり今に至ります…

そして躁鬱ではなく抑鬱と病院から診断され2週間に1度の通院と毎日の薬

同時進行で、心的障害者手帳自立支援医療費の申請のために同じペースで

盛岡暮らしの相談支援室と言うところでこれからのことを相談している最中です…。